野菜ジュースと玄米粥でガン撲滅に成功したママンが、おまけの人生でみんなに伝えたい事

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父の事 その1

こんどとオバケは出たためしがないといわれていますが、
そのこんどが日の目を見る日がやってきました。

お久しぶりのおにぎりママンです。

とつぜんですが、私よりも少し前から、同じガンという病気と戦っていた父が
10月4日に亡くなりました。

父は私と違い、ガンの治療法法として大病院の勧めるところのおまかせフルコースを
家族と一緒に選択していました。
甲状腺がんと診断された父は、はじめゆるゆると治療をしていたのですが
やがて、患部の急な腫れに気道の確保が難しくなり、患部とそのまわりの切除の手術を
することになりました。
わたしは、父に対してそうなるずっと前からガン特有の臭いを察知していたので
もっと体の体液の循環を良くするようにとか、体にいいフラックソルトのお風呂をすすめたりとか
していたのですが、父のまわりはそれを真に受けずに、父のために送ったものを別の親戚に
送ってあげてしまったりしていました。
(それは、父にとって私は前妻の娘なので今の母にとっては私のやる事はうざいだけ
それは、しかたのないことなのです。)

父は手術の前日に、もう話すこともできなくなるからと電話をかけてきました。
ほんの少しの間でしたが、生まれて初めて親子らしい会話ができました。
その時の会話が、とてもうれしくて楽しくて、勇気をもらったと父からの最後の手紙に
書かれていました。

父は、そのあとまるで実験台のようにあの手術この手術、あの薬この薬を使われ
もうぼろぼろになって、手の施しようがないと自宅に帰されました。
本人も、もう家に帰してほしいといったそうです。
結局病院側は、どんどん新しい薬を試してみてデータが欲しいということ
結果を数字で表すのが目的と、わかったからだといっていました。
ガンそのものは小さくなっても、体への負担が重すぎてどんどん弱っていく
そこにまた新しいがんが転移する。そんな日々だという事でした。

最後の一ヶ月は、お医者の薬も痛み止めの座薬のみとして他の薬もやめたそうです。
ママンは、電話のあった8月の終わりより毎日亡くなるまで手紙を書き続けました。

その内容は、励ますというよりも今までの事、死んだ母の事、
父の育て方は、突き放すばかりだったけれどそれが逆に家族以外の人とのなかで
生きていく術を身につける事になって、それがとても現在役に立っている事や
その事への感謝とか、そんな私の事で後悔の気持ちを抱えている父にそんな気持ちは捨てろとか
この世の仕組み、あの世の仕組み、どんなふうに体からぬけたらいいかなど
一度ならず二度までも死にかけた経験を生かし、実際死亡体験をなさっている
彗星探索家の木内鶴彦氏の話しなどもそえて、送り続けました。

亡くなる前日のこと、午前中まで部屋の中を普通に歩いて
飾ってある仏像の修理なんかをしていた父が、急にふらふらとベットに入り
横になったかと思ったら、昏睡状態に入ったと今妻さんから電話があり
「訪問看護婦さんの話しだと、ここ数日だというんだけれど、来るならいまのうちだから」
というので、取る物も取りあえず、主人と息子とで約10年ぶりに実家に帰りました。

つづく

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