野菜ジュースと玄米粥でガン撲滅に成功したママンが、おまけの人生でみんなに伝えたい事

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ママンが薬を拒むワケ

今日は、ママンが薬というものに疑問を持ったきっかけと薬なしでガンに挑むこと、なんで自分の体を信じ切ることの出来るようになったのか?そんなことをかきたいと思います。

まずはじめにみなさんにお断りしたいことがあります。
それは、あくまで薬なしでの挑戦がすべての病気に当てはまるかというと
それはわからないということと、これを読んで今まで飲んでいた薬をすぱっと
やめたりすることは、危険であるかもしれないので注意してください。

やるなら体の様子をみて、主治医とご相談の上徐々にとかが良いと思います。

ちょいと長くなるので何日かに分けて書きますね。
ママンには今年25になる息子がいるのですが、彼は生まれた時に重度の脳性小児まひで、手も足も動かせずにかろうじて手の親指をぴくぴく動かせる程度の運動能力しかありませんでした。
ママンは、実家にて新しいお母さんの子供たちの面倒を見ていたので、五人めの赤ちゃんが手元に来たようなもので何が普通で何が普通でないかはすぐにわかりました。
なにしろママンは知恵と勇気と科学の子。
観察眼の鋭いママンにかかっては、病院の先生も,保健所の保健婦さんもたじたじ。w
それにしても、足の裏の半分からちょい上のあたりをちょんと押すと押さえるまで足の震えが止まらないというのを(これは足の運動神経に障害がある場合の特徴)を気のせいと片付けられる保健婦さんがおられたのにはオドロキでした。もっとアレなのは「これはおもしろいでちゅねぇ」とかいってそれでさんざん遊んでいたママンですが(汗

そんなこんなで、三ヶ月検診の時に「これはぜったいおかしい!」と保健婦さんにくってかかり「まだ三ヶ月の赤ちゃんなのにはいはいしたりするはずないじゃないですか。せっかちなお母さんは赤ちゃんにストレス与えますよ」といわれても、「そういう問題じゃなくて動きがおかしいといっているんです。わたし小さな妹弟四人見てきているんです。こんな動きする子は一人もいなかったんです。なにかわかる専門の先生はいませんか?」といってたまたま来ていた肢体不自由の療育病院の先生に、診てもらいました。
そこで診ただけで「よくお母さん気がつかれましたね。脳機能障害による運動麻痺があるようです。すぐに検査しましょう。」なーんていわれるくらい重度でした。

さてさて、その頃ママンはちょっとした新潟のとある旧家のお嫁さんしていまして、くだんの子はそこの跡取りという立場でした。しかも養子養子でつないできて、やっとできた実子の跡取り。
生まれた時は町をあげての大騒ぎで、お祝いが料亭貸し切りで三日間続いたほどだっのですが、こんなことになってみると、種が悪いだの畑が悪いだの、旧家のまつりごとを忘れているだの、なにかの祟りだのw
だもんだから、おうちの人たちに明るい時に外に出さないように。といわれて「ふーむそりゃ困った」と頭抱えてしまいました。
なぜなら、小さいうちならまだ脳も運動神経も未完成状態なので、訓練次第で動くようにもなる。ということなので
ママンは新潟市あたりまで訓練に通いたかったのです。
ところが明るいとき出たらダメということになると…。

それなら夜明け前くらいうちの家を出て、出来たばかりの関越自動車道とおって東京に行けばいいんじゃん!!

それから半年間、月水金と東京の北療育医療センターへ訓練にスバルのレックスにのって通いました。
5時に出れば10時の訓練に間に合うのです。
小僧は母乳で育てていましたので、ちょこっと休憩してはおっぱいあげたりしてエンジンウィンウィン言わせながら
ぶっとばして通いました。w
やがて落ち葉が色づくと、センターの先生が「おかあさんのがんばりはわかるんだが、これから新潟は雪が降る。そのなかを通うのかと思うと心配でしかたがない。ここには療育入院というシステムがあるから利用してみてはどうか?」といわれて泣く泣く小僧を病院に預けることに。

その間にこんな環境の中では、この子を育てるのは無理だわ!と思ったママンは、もともと見合いで親同士でとんとんすすんだ縁談だったので、一応当時の旦那様に了解を得て離婚。
慰謝料養育費100万円もらって「小僧!100万長者になっちゃったよ。これで東京いって一旗あげよう!」ってないきおいで「お世話になりました~ お金もこんなにどうもありがとうございました。」
お金に対して、無頓着で計算の弱いママンだったので100万円がどのくらいなのかがいまいちで10年前の感覚そのままで東京に行ってしまったんです。

あほあほなママンの運命はいかに。
つづく
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コメント

順序立てて読んでませんですた。
すんません。
ってことで、ぼうやは25歳。

でも、ワタスにとってはぼうやかな?
ワタスにも、21歳のぼうやがおります。
男の子はいつまでたってもワタスにとっては、ぼうやだな。
本人に言うと怒られますが。
ママンさんのぼうやは、どんなことで怒るかな。
どんなことを喜ぶかな。
もしかしたら、そういうこともここに書いてあるかな。
これから、薬の項、読み進めます。

では、ママンさん、ありがとう。今日もワタス、涙しそうだ。でも、心の汗なんだね。
もしかしたら、ママンさんは、ワタスと同じくらいの年令かな?
なんか、もっと若い人を想像しておったので、急に親近感が強くなりますた。   
            では、命のバトン、読破の旅、行ってきます。  おちん。
ママンとぼうやはどうなるどうなる。

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